kaninoko! について


kaninoko! と申します。

オシャレのつもりで「!」までハンドルネームに入れてしまったのですが、「!」が使用できないサービスが結構あって後悔してます。

1991年 東京のサラリーマン家系に生まれました。
30歳までに不労所得だけで生活できるプロニートを目指して、定時でゆる~い事務職をしながらFX・MLM・アフィリエイトに精を出しています。

ここでは自己紹介を兼ねて、そこに至るまでの生い立ちを書き綴らせて頂こうと思います。

 

◾︎小学〜中学時代

筋力ない+体力ない+ボール当たるの怖い➡︎スポーツできない
面白い話できない➡︎友達できない
これに尽きました。

ゲームが無かったら一人も友達できなかったと思うくらい、ゲームだけでコミュニケーション取っていました。

お小遣いがなく、欲しい物があったら親を納得させたら買って貰えるという家庭だったのですが、沢山ゲームを買ってもらってたので、当時爆流りしていた「大乱闘スマッシュブラザーズ(64)」は買ってもらえませんでした。
友達の家でやらせてもらうしかなかったのですが、輪に入れてもらうためには強くなるしかありませんでした。頑張って校内2位になりました。

そんなゲームばかりに打ち込む姿を見かねた母親から、
「ゲームは1日2時間まで!」(弟と合わせて)

帰ってきたらRCAケーブルにタイマーを仕掛けられていました(笑)

なんてことをしてくれる!
どこに売ってるんだろうあのタイマーは(笑)

唯一のコミュニケーションツールを封じられたのは、当時の僕には大打撃でした。

 

◾︎高校〜大学時代

「塾に通わず公立に受かったら、お金を掛けさせてないんだから好きなもの一つ買って!」
これはOKが貰えました。

公立高校に入学し、PCを買ってもらいました。
PCさえあれば無料でオンラインゲームが出来ること知っていたのです。

ここから僕はオンラインゲームの映像や音楽や世界観にどハマりしていきました。
リアルワールドの友達より、インターネットワールドの友達が増えていきました。
ハ〇ゲーム上にお兄ちゃんとかお姉ちゃんとか恋人とかできました。

同時に深夜アニメにハマりました。
友達に教えてもらった「とらドラ!」を見て、深夜アニメってこんな面白いんだって感動したのを覚えています。

もっとゲームをやり込みたいし、色んなアニメを見たい!
もっと趣味の合う友達と色んなことをやってみたい、最強のゲーミングチームを作りたい、ゲームミュージックバンドとかやってみたい!

長期休暇を使って全力で好きなことをやっても、まだ全然消化しきれない。
やりたいことが溢れてくるのに、その時間を奪われる学校に行きたくない..(‘A`)

何のために学校に行くんだろう?
良い大学に行って、良い仕事に就くため?

いい仕事っていったって、夏休みは1~2週間しかないし、
結婚して子供が生まれたら、自分の好きな事をできる時間は週に何時間とれるんだろう?

60歳(当時は定年60歳がメジャー)まで働いたら永遠の夏休みが手に入る?
その頃に友達を集めてゲーム音楽バンドを作れる?
反射神経も判断力も衰えていくのに、ゲームプレイヤーとして名をあげられる?
真新しい音楽を創作できる?

(´・ω・`)

そしてふと思います。
一生ニートができたとして、好き事だけができたとして、それでも人生は時間が足りないんじゃないのか?

 

嫌々ながらに学校に行くのも、働くのも、やりたくない事をするのも、そんな事をやっている場合じゃない!
如何に好きな事をする時間を増やせるかが僕の人生のテーマとなりました。

当時は困惑したと思います。
僕の周りの大人はみんな会社員だったので、僕の目指すべき目標となる人がいませんでした。

何をすればいいのか、自分のやろうとしていることが実現できることなのか全くわからないまま、友達がみんな大学進学を目指す流れに逆らう事もできず、大学に入学します。

大学の授業を週4日に詰め込んで、課題もこなさず、就職のタイムリミットに目を背け、休日をとにかく好きな事だけに充てていた、そんな時に、Twitterで映像制作のフリーランス(個人事業主)を見つけました。

Jさんとしましょう。
この人、めちゃめちゃ自由そう!

ゲーム好きが派生して、ゲームのプレイ映像を撮影して編集するというのにハマっていたので、映像関係のクリエイターをフォローしていたのです。

そして、ツイートを見ていると彼の仕事や生活がなんとなく見えてきます。

この人、好きな時に好きな映像を作ってお金をもらっている!!

これだ!これを目指せばいいんだ!

不真面目な僕に学費を払ってくれている親への後ろめたさからも脱出したかった僕は、大学を2年目で中退し、映像系の専門学校へ入学しました。

「大学残り2年学費を払ってくれるくらいなら、2年専門学校に行かせてくれ!」
これはOKが貰えませんでした。

人生で初めて、親が納得していないのにお金を出してくれました。

 

◾︎専門学校&フリーランス時代

とにかくフリーランス集団が使っていたAfterEffectsというソフトを勉強していました。
当時どハマりしていた、Sudden Attackというオンラインゲームのプレイ映像を編集して練習していました。
映像編集 = Film Cut = ハサミ = 蟹 = kaninoko! と名乗った経緯となります。

当時趣味制作していた映像チャンネルです。興味がありましたら覗いてみてください(笑)

 

ご縁があって、在学中にフリーランスとして数件お仕事をさせて頂きました。
まだまだ、生計を立てていける収入にはほど遠く、技術面にも物足りなさがありました。

「3年くらい映像会社に就職して、人脈と技術をつけた上でフリーランスになろう!」

背に腹は代えられない!
将来の自由の為にここは一旦、就職を目指す作戦としたのです。

 

■映像会社員時代

新卒で就職した会社を10日で退職しました(笑)

一日10時間拘束されるという事が、想像を絶する辛さで、神速で逃げ出しました。
今思えばこれは、ただストレス耐性がなかったです(笑)
その日中に悶えながら後悔したのを覚えてます。

友達はみんな会社に行って生計を立てているのに、自分だけが生計を立てられないのも生きた心地がしませんでした。
再就職し、2年間で計3社映像会社を経験させていただいたのですが、気付いたことがありました。

1.映像等、好きで飛び込む人が多い業界は労働時間が長くて給料が安い
2.そういう業界でフリーランスとして生計を立てられるのは、才能のある一部の人
3.好きな時に好きな仕事をして稼ぐレベルの人はほぼいない
4.Jさんは実は経営者だったから、自由な生活が実現できていた

大学を辞めて、目的地が見えて、
今までの人生の中で一番熱量を注いで勉強してきた映像を手放す選択が出来たのは本当によかったと思います。
今でも映像のフリーランスを目指していたら、いつしか捧げた年数が枷になって、いいとこ働き詰めのフリーランスになっていたと思いますから。
強くなってニューゲームは慣れていてよかった。

 

■副業サラリーマン時代